粟野家の先祖について

粟野氏は室町時代から安土桃山時代に仙台市南部を治めていた豪族でした。

粟野氏は越中または越前の一族で、鎌倉幕府への忠誠により足利尊氏から仙台市南部(名取郡北方三十三郷)を賜り、 1343年に初代 粟野駿河守重直が茂ヶ崎城を築城し領主となりました。 1460年に5代 粟野忠重は茂ヶ崎城から北目城へと移りました。

その後、伊達氏の傘下となるものの、 6代 国定|7代 高国|8代 長国|9代 宗国(重国、大膳亮)までは北目城の城主でした。

10代の粟野重清(重次、清蔵)は、9代宗国の養子で亘理重宗の子、 1614年に伊達秀宗の宇和島藩への入部に同行することを断りました。その後、亘理家に戻ったことから仙台の粟野家はここで断絶しました。

代わりに、粟野宗国の次男の粟野盛国(庄右衛門)が同行し宇和島での初代となりました。その後は幕末まで、宇和島藩伊達家の家老として、宇和島城汐入御門の内側に住んでいました。

初代粟野盛国
(モリクニ)
(庄右衛門)
9代粟野盛儀
(モリヨシ)
2代粟野盛昌
(モリヨシ)
10代粟野盛信
(モリノブ)
3代粟野盛常
(モリツネ)
11代粟野盛裕
(モリスケ)
4代粟野和廣
(カズヒロ)
12代粟野小太郎
(コタロウ)
大阪府
師範学校教授
5代粟野和生
(カズシゲ)
13代粟野英二
(エイジ)
6代粟野盛務
(モリトシ)
14代粟野敬之助
(ケイノスケ)
京都市立
加茂川中学校
第13代校長
7代粟野盛任
(モリトウ)
15代粟野展和
(ヒロカズ)
8代粟野盛友
(モリトモ)

私、粟野展和は宇和島 粟野家 第15代当主です。

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